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杉浦譲(杉浦愛蔵)とは
杉浦譲 (すぎうら-じょう)は、幕末の幕臣で、1835年に、甲府で生まれました。
杉浦家は、代々、甲府勤番(こうふきんばん)を務めた約100名の旗本のひとりです。
その甲府勤番同心の長男として、杉浦愛蔵(幼名・杉浦昌太郎)が誕生したと言う事になります。
そして、山梨大学の前進にあたる勤番の学問所「徽典館」(きてんかん)に入学して朱子学や政道論なとを学び、19歳のときには助教授となり、父同様に、甲府勤番士になった模様です。
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では、杉浦譲(杉浦愛蔵)を、俳優の志尊淳さんが、演じられます。
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1862年、優秀さが認められ、外国奉行支配書物出役となって江戸に出ました。
この頃、孝明天皇の攘夷勅命もあり、尊王攘夷の嵐の中、下関戦争で長州藩が外国船を砲撃し、薩英戦争も勃発しました。
そのため、江戸幕府は、開港していた横浜を、再度、鎖港することで、少しでも攘夷を実現しようと、横浜鎖港談判使節団を送る計画を立てました。
1863年、杉浦愛蔵(25歳)は、外国奉行支配調役となり、徳川幕府の外国奉行・池田長発(池田筑後守)の遣欧使節団一行34名に抜擢され、田辺太一らとフランス軍の軍艦ル・モンジュ号にて横浜から出航。
フランス・パリに渡りますが、外国が横浜港の閉鎖を認めるわけなく、最初のフランスとの交渉失敗で、見切りをつけて、他の国には寄らず帰国しています。
池田長発は、帰国後、開国を主張したため、幕府から処罰されています。
第21回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
昭武の随員としてパリ万博へ派遣される。そこで栄一と親交を深め、家族ぐるみのつきあいをするほどの仲に。維新後は静岡へと移り、やがて明治新政府に出仕して、栄一が立ち上げた民部省改正掛の一員となる。 pic.twitter.com/HMOq2MWr5p
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) July 4, 2021
杉浦譲(杉浦愛蔵)と田辺太一は、1867年、パリ万国博覧会に派遣された水戸藩主・徳川昭武の随員として、再びフランスに渡航します。
随行員には、栗本鋤雲・向山一履・福地源一郎・高松凌雲もおり、同じく同行していた渋沢栄一とも意気投合すると、やがて家族ぐるみで、つきあいをするほどになりました。
杉浦愛蔵は、一行とは先に分かれて帰国すると、1868年1月、外国奉行支配組頭となり、外国との外交交渉を担当しています。
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明治維新になると、徳川家達に従い静岡にて蟄居しますが、外国との交渉や欧米の知識にも明るい人物は貴重であり、大蔵官僚・郷純造らの推挙で、明治新政府にて渋沢栄一が立ち上げた民部省改正掛となりました。
<注釈> 民部省(みんぶしょう)と言うのは、税を徴収する官庁のことで、大蔵省は国家財政を司る官庁。明治初期、民部省は大蔵省は合併・分離を繰り返した。
<注釈> 改正掛(かいせいがかり)とは、政策立案を研究作成する部署のことで、渋沢栄一が改正掛長で、前島密・赤松則良・杉浦譲・塩田三郎らが担当した。
郷純造(ごう-じゅんぞう)は、このように旧幕臣の登用を、大隈重信や伊藤博文らに推薦していました。
こうして、杉浦譲(杉浦愛蔵)は、前島密と郵便制度の創設を担います。
明治3年(1870年)3月、前島密が郵便制度視察および鉄道建設借款契約締結のためイギリスに渡っている間に、日本で郵便制度が開始されます。
杉浦譲(杉浦愛蔵)は、この郵便開始時の責任者・駅逓権正となり、制度統一、郵便局の設置、郵便切手の印刷などに尽力しました。
のち、初代・駅逓正(えきていのかみ)に昇進すると地理権正も兼ね、東京日日新聞(毎日新聞)、富岡製糸場の創設にも力を貸しています。
大蔵省、太政官正院を経て内務省に移ると内務省大書記官地理局長となりましたが、地租改正の測量を指揮していた際に、肺病にて倒れ、明治10年8月22日死去しました。享年43。
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山梨県甲府市太田町の遊亀公園に、杉浦譲の顕彰碑があるようです。
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