吉良上野介屋敷跡~本所松坂町公園の吉良邸跡
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吉良上野介屋敷跡
幕末の安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰や、大名屋敷を専門の泥棒で知られる鼠小僧の墓などがある両国・回向院の東方向にあるのが、吉良上野介屋敷跡(本所松坂町公園)です。
1702年12月14日、赤穂浪士が討入りした吉良上野介の上屋敷跡です。
現在は小さな公園(本所松坂町公園)になっていますが、かつての吉良邸はこの一帯に2550坪もの敷地を有していたそうです。
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公園と言うよりは史跡として保存・管理されているような感じで、周囲は高家の格式をあらわすような海鼠壁長屋門を模した塀と門で構成されています。
園内には吉良首洗い井戸があります。
なんでも、地元の有志らが昭和9年に旧邸内にある「吉良の首洗い井戸」を中心としたこの土地を私費で購入し、東京都に寄贈されて昭和10年に公園として開設されたそうです。
とても良い話ですね~。
上記の松坂稲荷は、吉良邸ができる前から地元にあった、元・兼春稲荷だそうです。
吉良邸ができてからは、敷地内にあったそうです。
ちなみに、元々は近藤登之介の屋敷跡でして、それを吉良上野介が拝領したのが1701年9月3日ですので、僅か1年半で討入りとなり、屋敷は幕府に没収されました。
上記のは石碑は「吉良家家臣二十士」で、討ち入りの際に命を落とした吉良家臣の供養碑となっています。
お名前だけ、記載させて頂きます。
小林平八郎、小堺源次郎、清水一学、大河内六郎右衛門、新貝弥七郎、鳥井利右衛門、斎藤清左衛門、須藤与一右衛門、牧野春斎、鈴木元右衛門、森半右衛門、笠原長太郎、権十郎、榊原平右衛門、曽右衛門、鈴木松竹、大須賀次部右衛門、杉山三左衛門、左右田源八郎、清水団右衛門。
毎年12月14日の義士討入りの日には、両国連合町会が主催する「義士祭」が執り行われ、また、12月の第2・第3の土曜日・日曜日には両国3丁目松坂睦主催の「吉良祭」や地元諸問屋出展の「元禄市」が開催されると言う事で、大変賑わうそうです。
実は、私、隅田川の対岸に3年程住んでいた事がありまして、この辺りも良く車で通ったのですが、お恥ずかしい話、吉良邸跡を訪れたのは初めてでした。
本所松坂町公園に足を踏み入れますと、先客の方が、吉良家の御子孫なのか?と思うくらい、大変ご丁寧にお参りされておられましたので、お邪魔をしない様、簡潔に撮影だけして帰ってきた次第です。
吉良上野介屋敷跡(本所松坂町公園)へは、総武線の各駅停車である両国駅西口から徒歩8分、又は、都営大江戸線の両国駅A4出口から徒歩10分となります。
駐車場はありませんので、付近のコインパーキング利用となりますので、電車の方が無難です。
芥川龍之介の文学碑
おまけで掲載させて頂きます「芥川龍之介の文学碑」です。
両国小学校の北西の角にありました。
本所は芥川龍之介が幼少期から青年期を過ごした場所で、この両国小学校を卒業しているんです。
以上、ご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
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コメント
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2015年 12月 01日
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2016年 12月 27日
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2017年 2月 02日
寺田様、遠い所から、またお忙しい中、コメントありがとうございます。
Facebookでも吉良家の菩提寺写真を賜りまして、恐縮です。清水一学の墓もあるとは、一度、訪問してみたいですね。
ありがとうございました。
父が凄く好きで関ヶ原合戦の次に覚えた歴史話が忠臣蔵です。
吉良邸の引越しした時期とか、討入りは幕府に報告されていたとかで真相は、はじめて興味を持ち38年経った今でもわかりません。
因みに今年の1月に愛知県幡豆郡吉良町で吉良上野介の菩提寺(初代〜6代まで)に行きました。吉良上野介の像があるのですが御住職が見えず見れませんでした。黄金堤を作ったり街を回って庶民の声をきいた優しいお殿様の一面がそこには見られます。また近くに清水一学のお墓もありますよ。