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NHK総合で、2018年1月7日(日)からスタートする大河ドラマ「西郷どん」。
女優・戸田菜穂さんが演じる島津斉彬の側室として「喜久」と言う女性が登場します。
2008年「篤姫」のときには、余貴美子さんが演じました。
島津斉彬の正室は一橋徳川家である徳川斉敦の娘・恒姫ですが、側室に関してはあまり知られていません。
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側室・喜久(きく)とはどのような女性だったのでしょうか?、少し調べてみました。
島津斉彬の妻
正室・恒姫(英姫)
まず、前述の通り、島津斉彬の正室は恒姫(英姫)で1805年生まれです。
1812年に婚約し、1815年、9歳のときに江戸高輪の薩摩藩・高輪屋敷に入りました。
島津斉彬は1809年生まれで、そのころ、母・弥姫から養育を受けていたものと考えられます。
2人の結婚じたいは、斉彬16歳、英姫20歳の時となります。
なお、恒姫(英姫)は一橋家の娘と記載させて頂きましたが、英姫(ふさひめ)の父は将軍・徳川家斉の弟です。
この縁組は島津斉彬の曾祖父・島津重豪と、将軍・徳川家斉の実父である一橋治済(ひとつばし-はるさだ)の間で決められたものです。
ちなみに、島津重豪の娘・茂姫は、将軍・徳川家斉の御台所(正室)ですので、島津家と徳川宗家・一橋家の関係強化と言う事になります。
ただし、英姫は将軍・徳川家斉にいた55人の子供のひとりだとする説もあり、何度も将軍家から嫁を迎えると、島津家は徳川家の言う事をなんでも聞かなくてはならなくなることから、一橋家の養女として嫁いでもらったと言う話もあります。
また、一説にると、英姫は若い頃に「疱瘡」(ほうそう)を患い、顔に痕が残っていたことから、人前に出るのを嫌い、誰かに会う時も御簾を通して行っていたと言われています。
そして、長男・島津菊三郎が生まれていますが、夭折しています。
篤姫が将軍・徳川家定に嫁ぐ際には英姫(恒姫)が養母となりました。
側室・酒井忠明の娘
酒井忠明は敦賀藩の藩主です。
酒井忠明の娘に関する記述はほとんどなく、
長女・澄姫、次女・邦姫もほどなくして亡くなったようですが、島津斉彬の子供は成長する前に死去しているケースが多いです。
側室・横瀬克己の娘
旗本である横瀬克己の娘ですが、1845年に次男・島津寛之助が誕生しましたが、同じく成人には至らず1848年に死去しています。
側室:田宮安知の娘
三男・盛之進も夭折。
五男・虎寿丸(儔次郎)に関しては、篤姫の養父・近衛忠煕の娘・信君との縁組を進めて婚約して関係で、生まれが1849年閏4月2日で、6歳で早世したのが1854年閏7月24日と分かっています。
側室:伊集院須磨
伊集院須磨(いじゅういん-すま)は、1821年生まれですが出自は不明です。
薩摩藩士・伊集院兼珍の養女となって輿入れしました。
お須磨の方は伊集院須満、伊集院寿満とも書きます。
ちなみに、西郷吉之助(西郷隆盛)が最初に結婚した妻は、伊集院兼寛の姉・伊集院須賀(すが)ですが、いずれの伊集院家も庶流のようです。
この伊集院須磨は、もともと侍女だった模様で、早い段階から、島津斉彬の寵愛を受けており、4男・島津篤之助、6男・島津虎寿丸、3女、4女・島津典姫、5女・島津寧姫と2男3女を儲けました。
また、篤姫の実子工作の際には、篤姫実母として江戸幕府に届けられています。
島津斉彬の子女の多くは早く亡くなっていますが、須磨との娘3人は、全員が弟・島津久光の息子の正室になっています。
ただし、3娘・5娘は、難産で死去し、典姫ただひとりが長く生きています。
さて、話を戻しますが、戸田菜穂さんが演じる島津斉彬の側室・喜久(きく)ですが「喜久」と言う名前では上記の側室からは認められません。
NHKが発表している人物像としては「側室として子宝に恵まれるが、その多くが幼いうちに亡くなってしまう。悲劇の裏側に、反斉彬のお由羅の方が暗躍しているとうわさが広がり、お家騒動が巻き起こる。」とあります。
しかし、第3話で登場した島津斉彬の次男・島津寛之助が死去した際に、戸田菜穂さんの「喜久」が登場していました。
となりますと、喜久は、横瀬克己の娘と言うことになるかと存じますが、そのあたり、ドラマは「フィクション」ですのでねごちゃまぜになっているのかも知れません。
山田為久の名前と言い、大河ドラマ「西郷どん」にて横瀬克己の娘と素直に使えないのは、なんらかの理由があるとは存じますが・・。
島津斉彬はこのように徳川家とも血縁があり、もし、長生きしていたら、薩摩藩は「倒幕」なんてことにはならなかった可能性も高いです。
対立していた島津久光の子・島津忠義を養子としましたが、その後、藩の実権は島津久光が握ったため、薩摩藩が全力で倒幕運動を行えるようになったとも言えます。
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