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壬生基修(みぶもとおさ)は、参議・庭田重基の三男として1835年4月4日に生まれた。
庭田家は、藤原氏北家である園家の支流。
壬生道吉の養子となり、1850年には昇殿している。
正室は四辻公績の四女・重子。
尊皇攘夷派として策動したが、1863年、中川宮など公武合体派の策略による八十八日の政変にて、三条実美、三条西季知、東久世通禧、四条隆謌、錦小路頼徳、澤宣嘉と七卿落ちの1人となり、三条実美らと長州藩へ下向。
その後、太宰府天満宮に移った。
王政復古にて許されると、参与として復帰。
戊辰戦争では会津征伐の越後口総督府参謀となったことで新政府から重用された。
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明治2年、越後府知事、のち東京府知事となり、明治8年には元老院議官、明治23年には貴族院議員などを歴任し、明治24年には伯爵。
その後、平安神宮宮司などを務めた。
明治39年3月6日、京都で死去。72歳。
現在、墓所は多磨霊園で、立派な土饅頭型の墓がある。
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